裏口の扉を開けると、空はとっくの昔に黒々とし、季節の割の肌寒さが体中を駆け巡った。そして其処に、いかにも惨めな風に肩を落としまだ少しばかり湯気の立っている皿を持つ幼馴染がいた。地面にしゃがみこんでこちらに背を向けていて、そしてその向こう側には闇と同化しそうな色をした何か小さな生き物がいる。
「にゃあ〜」
それは明らかに人為的なもので、つまりスザクの猫なで声だった。扉を閉じて、わざと大きな音を鳴らしたけれどスザクは振り向かないところから考えると、完全にいじけている(それにしても20代男子として可哀想過ぎる図ではあるのだが)。歩を進めて回り込むと、箸で掴んだちくわを猫の眼前で必死に振っていた。そして響き渡るのは、愛らしい猫の鳴き声ではなく男の低いトーンでの鳴き真似。あぁこれは可哀想過ぎる。眉を潜めて、そしてこの状況に追い込んだのは自分であると思い出して、けれどそこで真っ当に罪悪感が生まれるほどルルーシュは素直な性格ではなかった。
「おい」
「にゃあ〜、にゃ」
あまりのいじけっぷりに(自分のせいであるとはしても)、その鳴き真似すら自分に向けられているもののような気分になる。にゃあにゃあ言い続けている相手が、あまりにも不憫のような気がして溜息をついた。
「聞いてるのか、スザク」
「聞こえてるよ、鬼のルルーシュさん」
またにゃあにゃあ鳴き始め、何のつもりだと段々と不憫さ呆れを通り越して苛立ちが込み上げる。とんと、身を屈めてふわふわした頭を叩いた。スザクの目が、相変わらずやる気も何もなさそうにゆっくりとこちらに向けられた。
「悪かった。店は満席だから上の俺の部屋で食べてくれ。これじゃあ客が逃げる」
けれど彼は何も聞こえなかったかのように、再び猫に目線を戻しいじらしい顔でちくわをその眼前で左右に振る。お前がやっても何もかわいいところがない、と思いながら猫を見れば、そいつは明らかに目でおいしそうなちくわを追っていた。けれど足が動こうとしないのは、彼が怖いからなのだろうか。相変わらず動物には好かれないんだと、また溜息を吐いて一際大きな声を出した。
「スザク!」
というそれはよく響く、と満足した瞬間、箸に挟まれていたちくわがするりと其処から抜け出し地面へ落ちる。微かな水音が鳴って、そしてスザクのいじけた顔が一瞬にして馬鹿そうに呆けた顔に早変わりした。猫は一度身をぶるりと震わせると、素早く身を翻し後退し姿を消す。あれだけ物欲しそうにしていたのに食べないのか、と不思議に思うが猫の感情は人間にはわからないのだ。呆けていたスザクは、今度は酷く悲しそうな顔をして去った猫がそれまでいた場所を見つめていた。またひとつ、溜息が漏れた。
「上で食べろと、言ってるだろう?」
「元はと言えば君が追い出したせいじゃないか」
それは確かなことで、しかし慣れ親しんだこの男に最早罪悪感を抱くことは出来ない。先刻起きた騒動は、思い返せば返すほど馬鹿らしいものだから、余計に。スザクがやって来た夕方頃は店内には人一人もおらず、ナナリーも交えて3人で楽しく会話をしながら働き、スザクは食事を進めていた。が、途中でナナリーはとあるコンビニに我が家のおでんを卸してもらう件での打ち合わせのため出掛けていった。そこからが、よくわからないから馬鹿らしい。大して広くも無い店だけれど、二人きりになればやはりそれなりの広さで、けれど別段気まずくなるような仲でもないので談笑は続いていた。そのはずだ、なのにいつのまにか、刺々しい言葉が飛び交うようになり店内が混んで来た頃には俺は思わずスザクを外へ追い出していた。席の無駄、だと。そして今に至るのだけれど、思い出せば思い出すほど喧嘩の内容が支離滅裂で、頭が冷め切った今では何に怒って彼をこんな場所に放り出したのかがよくわからない。だから素直な性格とは決して言えないルルーシュだけれど、今度ばかりは素直に「悪かったよ」と告げた。
「でも、商売敵を放って置くわけにはいかないからな。2階で食べろ」
「酷くない、それ?」
呆けたり、悲しそうになったりと忙しそうだったスザクの表情が、今度はどこか優しげでけれど疲れたようなものに転じる。
「素晴らしい配慮じゃないか、何か不満が?」
「そうじゃなくて、商売敵のところ。こんなに貢献してるっていうのに」
「ナナリーが知識を尽くして選び抜いて、丹精込めて煮込んだちくわを落とすなんて商売敵以外の何者でもない」
彼は一瞬心外そうな顔をしたけれど、仕方ないと納得したのか直ぐに持ち直しまた疲れた様子で溜息を吐いた。吐きたいのはこっちだと、そう思ったけれどそれにしても今日の彼はどこかいつもの彼には無い哀愁が漂っていて、口には出さなかった。しかしこういう配慮は自然と出来るのに、まだ血気盛んな学生の頃ならともかく何故今更になってあんな筋の通らない喧嘩をしたのだろう。大体、お互いに怒っている部分が違いすぎたような気がする。それ以前に、自分はスザクが何に対して怒っているのかすら最後までよく把握できなかった。あぁ、ならば俺は意味のわからないスザクの理不尽な怒りに心を害したのか。
(じゃあ、スザクが喧嘩の原因か?)
くだらない喧嘩の発端の追求に意味は無いとよく知っているけれど、扉を開けながら先程何度か謝ったことを些か後悔しかけた。その時、視界の端にまた何か小さな生き物が現る。スザクの、好奇と歓喜に満ちたこどもじみた声が聞こえ、それが猫だと察した。闇と同化しかけているそいつは、びくびくとした足取りで先程落としたちくわをひょいと口に咥え、大慌てで闇に消えていく。一瞬足が動きかけたスザクは、すぐにそれを留めてからこちらを向いて意味深に笑った。もしかしたら、ナナリーが丹精込めて煮込んだそれを無駄にしてしまったことに、本気で罪悪感を感じていたのかも知れない。ならばありがたいことだ。
「ほら、猫が食べたって言ったらナナリーも喜ぶよ」
猫の体にだしが染み込んだちくわはあまりいいものではないのだろうと頭の片隅で考えるが、どこかこどもじみたそれに笑わずにはいられなかった。
「伝えておくよ」







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