猫が死んでいた。誰が殺した?答えは、誰でもない。ただそれだけだった。正確に言えば、わからなかった。誰が殺したかが。ただどうやって殺したのかはわかった。その猫の倒れている場所は草むらではなく、道路の隅っこだったから。そうして、その直視できないほどの痛々しい傷も、明らかに轢いてしまった、それだけだった。轢いたその人は、たぶん、猫に気がつかなかったか、それとも事故を起こさない為に轢かざるを得なかったのか。どちらかなのだろう。あぁ、死んでしまった猫。たぶん、故意ではなかった。でも殺されたということには変わりはなかった。自分はそれから、その道を通る時は必ずそこを通る車の中のドライバーの顔を覗き込んでいた。最も、遠くからであったから微かにしか見えないのだけれど。探していたんだろう、わかるはずもないのに。あの猫を死なせてしまった、否、殺した人物を。たぶんそれは所謂「純粋」な思いからだったからかもしれなくて、けれどそれ故の好奇心が混じっていないと言えば嘘になった。見つけられ筈もないのに、小さい子というのは不思議だ。そして、今から考えるとまるで無意味なその行動は、なんの為にあったのかと云えばたぶん責めるためだったのだろう。猫を轢いたことに気が付いていないのなら、「お前がやったんだ」とでも言い、事故を起こさない為に轢かざるを得なかったというなら「猫が可哀相だ」とかそんなことを。酷く安易な考えであることはよくわかるが、それでもしたいと、しなくちゃいけないんだとその時の自分は思ったのだ。確実に。