「ゼロ、知っていますか」

手元の折り紙を、ただひたすら丁寧に折っていくだけの、その繰り返しだ。それだけで、鶴の形が出来上がっていく。すっかり手馴れてしまったので、一羽が完成するまでの時間は酷く短くなった。三分もかからない、下手すれば二分だって。今日もまた同じように、無意識の内に動く手を見つめていたら、鶴は出来上がっていた。とても、簡単だ。私はそれを両の手の平に乗せて、仮面の男の恐らく目があるであろう位置に差し出した。彼の、表情はいつだってわからない。
「これを千羽折ると、願うが叶うのだそうですよ」
千羽鶴と言うんです、日本のまじないの一種だそうで。そう付け加えると彼は、「そうですか」と変声機を通した声で抑揚なく言っただけだった。しばしの沈黙が流れる。執務室はいつも静かだ。私は車椅子に腰掛けたまま、彼は私が促したままに椅子を机に引き寄せ座っているので、それとなく立派でシンプルな机を挟んで向かい合わせになったその顔は、そこまでの身長差はなくなっている。それほどの苦もないまま、手を差し出しながらその見えない表情を見つめたままでいると、彼にしては珍しい、謀りを失ったようなタイミングで「ナナリー陛下は、何を願われるのですか?」と問うてきた。不釣合いに、その台詞が浮く。私は彼の見えない表情を、変わらずに見つめたままでいる。静寂の空気が、私達を刺していくかのように降り注いでいる。仮面は、動かない。その奥を、私は見ることは出来ない。結局、沈黙に耐えられなくなったのは私の方で、どうしようもなく瞼を伏せてから、せめてとまた彼に真っ直ぐに視線を注いだ。まるで、その奥を暴いていくかのように(実際に、そんなことは出来ないのだけれど)。
「世界の安寧を。」
それが本心からであることに間違いはないが、嘘であるか否かと聞かれれば私に答えようはない。わからない。けれど、私は私自身が世界の安寧を願わなければならないと信じているのだから、これ以外に答えはないのだ。「さすがはナナリー陛下、あなたは為政者の鏡だ」という彼の返答は、あまりにも予想しやす過ぎるものだ。彼は、わざと以前のゼロを真似ている。けれど似たように芝居ががかる声は、時折上擦ったような動揺を見せる。変声機を通るそれは酷く掴み難い変化でしかない。そして私は、それを読み取ろうと彼を真っ直ぐに見て、やはり表情まではわからないことを悟るのだ。動揺の、原因は恐らく私の視線にあるのだと、そう信じたいが。こうして向かい合っている中、だから私はただ彼を見つづけるしかない。例え、表情がわからなくても、その奥を見ることがなくても。いつもと同じように、恭しいような親しげなような優しいような、非常に何にも分類のしにくい口調で礼を告げる。しかし、それだけでは終わらない。私は伸ばした手を一度降ろし、鶴を机に置く。それは、透き通るようなブルーで染め上がっている。
「ねぇ、ゼロ」
呼び掛けるような声に、やはり仮面は動じないのだ。それが、悔しくてたまらない。
「あなたの、望みはなんでしょうか?」
また少し、濁った空気がこの場に落ちる。「弱者が虐げられないこと、誰もが尊厳を失わないこと、そしてあなたと同じく、世界が安寧に導かれること以外にありませんよ」と言うその揶揄するような口調は、やはり真似ているが、真似きれていないことはありありとわかる。他の誰かを誤魔化せても、私の耳は誤魔化せないと信じている。「それは、とても心強いです」。私は、嘯いてからそっと彼に手を伸ばす。私が心強いと思うのは、あなたの仮面ではないのだ。手を伸ばしたまま、彼を見つめる。なるべく見透かすような、わかりきっているかのような、強く鋭い視線を向ける。それが、あなたに届いていることを切に願う。そして、だからこそ、思いを込めるように私は手を伸ばしている。彼の手は、いつも尊大に組まれた足の上に、同じように尊大に置かれている。けれど、あなたのその尊大さは象徴であり、演技なのでしょう。私はずるいことはわかっていながら、彼を見つめたまま、ゆるりと口を開く。
「お手を、」
なるべく、強制力のある声で、あなたが逆らえないような弱さと強さを滲ませて。戸惑ったような空気ですら、私は気付いていないのだというようにあなたを見つめる。その尊大な態度に似合わぬ控えめな仕草で、黒衣に包まれた手が浮き上がり、差し出される。私はそれを握って、両の手で包み込む。これが酷くずるい行為であることなど、わかっている。なるべく、あの頃のような純白さと清廉さで、あなたの手を握る。どうしようもなく、ずるいのだ。だから尚更、この黒衣の下に、何かが伝わればいい。私の悔しさや後悔、あなたへの羨望、共にあの人を悼みたいという私らしさ。弱い力で強く握り、望むようにあなたを見つめる。
「しかしゼロ、私は全て知っているのです」
微かに揺れる空気が、彼が動揺していることを機敏に表している。
「否、知っていました。こうして鶴を折っていく行為の空しさを。千羽の鶴をいくつ飾り立てても、願いは叶わないことを。それでも、私には願いがありました。願いがあったからこそ、こうして鶴を作るだけでは叶わないことを知っていながら、閉じられた世界でただ、願いつづけていた」
その願いは、酷く浅ましくて、けれど言葉にすればとても些細なものだった。私の幸せは、全てそこにあった。酷く狭い、けれどとても深い愛情に満ちた場所に、穏やかにあの人と共にあることだけが私の幸せで全てだった。
「その願いはもう叶いません。私は、それがゆるやかに失っていくものであることにすら、気付いてはいても目を向けることはなかった。愚かでした。私は、どうしても叶えたいがために、決定的なミスを犯していたのです」
仮面の、向こう側を私は見ようとただ必死に視線を送る。見えない奥を、見るために。あの人を、見破ることはできなかったこの心で。大きな、とてつもなく大きなミスだった。あの人がとても聡い人であったこと、留まる人ではなかったこと、それらにすら目を背けてしまっていたのだ。そして、私は大きな荷物と化していった。あの人が、一等愛おしむ重さへと。とても、悔しい。強く握った手から、私のそれらが伝わっていけばいいと思う。いつのまにか見破っていた、あなたへの羨望も。そして、その大きな手から何かが私に伝わって欲しい。あなたの痛み、悲しみ、嘆き、強さと弱さ、もう死んでいったはずの人間らしさというあなたらしさが、伝わってくればいい。まるで私が見破っているかのように。そうして、私もあなたと同じ場所に降り立って。強がらないで、否、私がそれを見破ってみせましょう。そのために、仮面越しではなく、あなたが一方的に私を見るのではなく、私もあなたを見ていたい。布越しでは、あなたの体温はわからない。でも、中にいるのは、確実に生きている人なのだ。私と、同じような。
「私は、もう間違いを犯したくない。なるべくならば」
一層強く握った手を、私は確かめるようにまた握り直す。仮面の奥は、わかっている。優しく強い、幼い頃の思い出。その中でお兄様と共に光り輝いている、顔も知らないあなた。けれど、きっとあなたは強いだけではないのでしょう。優しいだけでもない。嘘をつき、私を守ろうとしてくれたその手で、お兄様を憎んでいた。お兄様は私の髪を優しく梳いた手で、ユフィ姉さまを殺した。私は、ただ愛しいあの人に重ねた手で、フレイヤの発射スイッチを押した。多くの人の命を、奪った。願いが叶うことを、鶴を折るのとはまるで違う重さの中、ただ思い描きながら。

「だからあなたと、話がしたい」

落ちた言葉が、静寂に呑み込まれながら余韻を残していく。それが消え去らない内に、ぽつりと、呟きが聞こえた。ナナリー、と。たどたどしいそれは、変声機を通して尚、弱さを残している。情けなく置かれたブルーの鶴と共に、離れていく黒衣を纏う手の先を見つめる。仮面に伸びたその指先に、息を呑む。あなたと同じ場所に立ち、あなたと共に世界を愛しましょう。孤独を、共に歩みましょう。そして、時折、あの人の話をしましょう。伝えたい、ただ優しさで満ち足りた話が、まだまだたくさんあるから。

(そして、何よりあなたの話を聞きたい)
仮面を取り去る、その先には、千羽の鶴を折るわけもなく全てに耐え忍ぶあなたがいるのだ。







081108