自身の手を光にさらすと、其処にはもちろん継ぎ接ぎの後もなかったし、どこかの映画で観た動く人形のように硬い肌ではなかった。人間の手だった。だからこそ、不思議だと思う。なんで、自分が人間なんだ?無感情で、ただ受け入れるだけで、そうして其れに対して何も思えず、挙句の果てにはその受け入れたものから裏切られたとしてもまるで悲しかった試しがない。仕方ない、と思うしかなかった。いつもそうだった。機械みたいだ、誰もが自分にそう言った。初めは冗談めかしているそれも、次第に苛立ちと悲しみを込めた暴言と変わっていって、自分は突き放された。そしてそれにすら反応を示さない自分に対して、相手はただまた苛立ちを込めた暴言を吐いて出て行く。その繰り返しだ。今まで、そんなことが何回あったのか、記憶力が尋常でないほどの自分でも覚えられないくらいに繰り返している。毎回が毎回、本当に滑稽なほどまったく同じパターンなので印象に残らないのだ。もしかしたら、自分に記憶していなければという意志がないだけの話しかもしれないけれど。
そんな風に、ここ数年を過ごしてきたものだから、昔は快活で冗談ばかり発していた口も、必要最低限でしか動かなくなってしまった。まったく冗談を言わなくなった、とかそういうわけではないのだけれど(つまりは必要な冗談というのがこの世にはあるのだ)自身の心は酷く低迷していた。笑いあうことに、何の意義も見出せなかった。そんなだから、いつも口を開けるのが億劫だった。喋りたいと思うこともなかった。ただ、彼に会うときは、いつもよりは自然に喋ることができた。というより、今の自分を悟らせないためにも喋るしかなかったのだが、それでも他よりは自然だったし、言葉が考えなくとも出てくるのだ。ここ数年の自分の会話の半分以上は彼とのものだろう、と思えるほどに。そんなに頻繁に会うわけでもないのだが。話すのは、大抵、彼のことだった。彼はよく喋っていた。自分はそこに時折、自然な冗談を混ぜながら相槌を打ち、相談に乗ったりしていた。昔のままだ、今の自分は、恐らくはバレていない。ただ、今日は違った。彼は、自分のことを御座なりのように話したあとで、自分に問いを返してきた。その時、自分は口が重くなることを予想していたのに、その予想はハズレてしまい、まるで警察の弁術に引っ掛かった犯罪者(たぶん俺は彼の弁術に引っ掛かっていた)のごとくここ数年の状態を喋ってしまったのだった。
「ラビ、それって、無感情とは違うんじゃないですか?」
「まぁ、それ以上に的確な言葉はたくさんありそうさね」
「そうじゃなくて」
「悲しいんでしょう。何が、悲しいのかは僕にはわからないけれど」
彼はほんの少し眉を顰めていた。呆れたわけではないのだろう、それは悲しそうな表情だった。「俺にもわからないさ。そもそも、悲しいのかすらわからない」、そう呟くと彼はこれだけは間違いがないというように「悲しいんですよ」と言う。妙に自信に満ちていた、というより確信があるようだった。アレンはあまり自分の言葉や考えを、主張し合うことはあれど押し付けるようなことは言わない人間だったので、理由を聞く。するとアレンは「僕もそうだったから」とそれだけ言った。その時に思い出したのだが、そういえば彼はここ数年、自分と会うたびに身の上話しばかりを確かにしていた。けれど、彼の話しのどこにも彼の存在はなかった。友達の話しとか、彼女の話しとか、バイトの店長さんの話だとか、ずっとしていたけれど、そこにいつも彼はいなかったのだ。もう一度、彼を見るとやはり眉を下げたままだ。悲しい、のだろうか。その後は、ただふたりで無言の会話を続けるのみだった。
080216
残留