何冊か積み上げられた本の一番上に、二つ折りにされた見知らぬ黄ばんだ紙が一枚あった。パサパサと手触りの悪いそれを開くと、そこに映っていたのは、明らかに刷りが甘すぎて細部が潰れてしまった見にく過ぎる写真。じっくりと見つめると、それが舞台に立つ一人の化粧の濃そうな女とそれを仰ぎ見る民衆を映したものであることがわかる。そしてその写真の周囲には、思わず眉を顰めてしまうような言葉がところ狭しと並べられていた。どうにも、下世話な雰囲気を惜しみ気なく溢れさせたいようだ。陰湿な臭いが、ただこの手触りの悪い髪を通して伝わってくるようで、嫌気がした。印刷の潰れのせいで華奢なんだか豊満なんだかわからない体形をした女からどこかおぞましさを感じた。異臭が、目前まで迫ってきているような感覚になり、ひとつ溜息を吐いてそれを破り去ろうとしたが、何も破り去る必要もないように思えたので、四つ折りにしてまた元の場所へ戻す。先程より厳重にこれを折り畳むことで、異臭が此処から消えてしまえばいいと思いながら。パサリと再び元の位置に戻されたその紙は、黄ばんだ色をこちらに見せ付けるかのように、風に揺れる。ただ、飛びはしなかった。自分は飛んでいってくれればいいと少し思ったというのに。あの紙を通して伝わってきた陰湿な空気が、今も自身の指先にべっとりと纏わりついているような気がする。ふと、やはりこれは目の前にあるだけでも自分にとって有害に思えてきたので、仕方が無いので塵箱へ捨てることを決めた。そうして腰をあげたときあたり前のように視線も共に上にあがり、今までの行動は逐一見ていましたよと言わんばかりの含み笑いが自身に注がれているという事実に直面する羽目になった。もちろん気が付かなかったわけではない、ただ単に気にしていなかったというだけで。なんか用かよ、と端的な疑問を口にした。もちろん彼の含み笑いの原因が掴めないほど、自分は今まで他人を無視してきたわけではない。
「いや、そんなにいやかなと思っただけ」
「嫌に決まってるだろうが。気色悪いし薄気味悪い」
「あははっ違いないよなぁ」
そう言って付け足したような笑い声が聞こえた。その声は、どこか先程の纏わりついてきた陰湿さとよく似ているようで、それよりもよっぽど性質の悪い掴みにくいものであるようにも感じられる笑いだった。彼は、積み上げられた本の一番上に戻されたその紙を手に取ると、もう一度開く。カサリと鳴ったそれは、今にも小さな虫が群れをつくるところを想像させるほどに年季の入った音だった。相俟って陰湿な音にそれが聞こえてしまうのは、きっとあの写真を見たからだ。何が映っているかもわからないのに、下世話なそれだけはしっかりと伝わってくる纏わり付くようなあの写真。気色悪い以外、なんと言えばいいのかわからない。そして、それに集るあの湧き上がるような観客達は、どれも同じように色めきたっているよう(もちろん本当にそうなのかなんて、あの質の悪い写真じゃわかるはずもないけれど)に見えて薄気味が悪い。背筋に寒さが走るのだ。
「一回だけこういうの観に行ったんだけど、すっげぇよ。大多数の人間が同じところで同じ反応をすんの」
「そりゃあ見たくねぇな」
「のめり込めればそれで楽しいんだけどさぁ、ちょっと我に戻るともう駄目だなぁ。あの空気は耐えられない」
そう言って、どこか呆れたようなな表情を浮かべた。自分も入っといてよく言う、と思ったが経験者が言うならそうなのだろう。彼が言葉を受け売りするなら、滅茶苦茶に換気のなっていない部屋で入っている間はなんともないのに一旦外に出て再びその部屋に入ったときのあの空気が身体に纏わりつく感じに似ているのだとか。ようは、思ったとおりに陰湿なのだろう。きっとあの黄ばんだ紙を通して伝わってものとまったく同じものが、そこには流れていたのだ。そうしてそいつは、卑屈な表情を切り崩すようにその黄ばんだ紙を再び二つ折りにして、ポイと塵箱へ放り投げた。既に紙塵で溢れ返っていたそれは、投げた髪を受け取ることなく床に叩き落す。みると、それをなげた張本人は酷く面倒臭そうな顔をして、床にあっけなく叩きつけられた情けの無い紙を見つめていた。失敗した、と落胆の声が聞こえ、その姿はさもすれば生きることに疲れた老人にも似ている気がする。
「ちゃんと捨てろよ」
それだけ言い残し自分はその場から退室したので、あの陰湿な紙がどこへどうやって消えたのかは知らないままだ。







080216