晴れの日にいつも感じるのは、私はもう此処から出られないだろうという閉鎖的な観測で、それは同時に以前ならば出られると勘違いしていたことを思い出させた。白馬の王子様が迎えに来るなどと考えていたことがあったのか、自分は。馬鹿な、精悍な顔つきで気立てがやさしい、けれど強靭な精神を持つそんな馬鹿げたそいつが来たら私はきっと困り果て、帰って欲しいと懇願するだろう。一体その勘違いがどんな根拠のよるものだったのかと答えを求めるが、それは些かの違和感を落としていくだけで、非常に気分が悪い。窓から臨めるのは、確かに広がりのある景色ではあったがそれに対して私はとかく何も感じない。ただ、別に此処から出ようと思えばいくらでも外出することは可能というそれを認識するだけ(でもそれすら、体がついてきてくれれば、という条件つきではあるのだが)。けれど、やはりどうしてか出られない気がする。私は此処にしかいてはいけない、或いは此処ならばいてもまだ許される存在であるような気がする。何故だかと問われれば、今の自身の頭でも容易く答えられるはずで、しかしそれを口にする気にはなれず、詰まるところ根拠のわからない、先のそれと同じくただの妄想だった。浅く息を吐き、私は立ち上がる。ぼやぼやと思考の霞む頭に苛立ちを感じながら、廃墟の病院の螺旋階段を下り、陰湿さの漂う廊下をふらふらと歩き、これもまた陰湿さの漂う病室まがいの寝室へ入る。其処を通り抜けた、先に。本棚と、衝立と、果物ナイフがある。そして、具合の悪そうな妊婦が、眠っている。
「姉さん、今、何を見ていたの?」
妊婦は、私の妹だった。痩せこけた頬が痛々しく、大きく膨れ上がった腹が過剰にその存在を主張する。やはり具合は悪そうだったが(それはお互い様か)珍しく、彼女は饒舌そうに私に話し掛けてきた。
「不思議なことを聞くのね」
「じゃあ何を考えていたの?」
「忘れてしまったわ」
「嘘。何か大事なことを」
「そう見えたの?」
「ええ、やっぱり覚えているのね」
「そうね、今は」
そこまで言って、白馬の王子様などとは言えずに詰まってしまったのは、あまりにも馬鹿らしかったからか、それかこの妹に聞かせてはいけないという無意識が働いたかのどちらかであり、どちらでもあった。すると間もよく、「ねぇあの人は帰ってきた?」という妹の声を聞いた。脈絡がないのはいつものことで、私は言わなくてよかったと考えた。妹の質問には、答えずに私は彼女の傍へ寄った。大きなお腹がよく見えた。
「いつ帰ってくるかしら」
そう、いつ迎えに来てくれるのだろうか、私の王子様は。妹の浮世離れした台詞に、私は自身の浮世離れした台詞を頭で重ねた。正統派の王子など来られても困るのだから、そう、例えば、来るのなら私を心の底から私だけしか考えられない人がいいと思う。私の一挙一動全てに振り回される、否定も肯定も出来ない私以上に脆弱な男がいい。気の利いた台詞ひとつ言えず、そのくせに真面目で実直でよく気を遣い、何をするにも不安げに眉を潜め、閨でさえもその態度はただ自信がなく全てが劣悪としたような。人が好く、弱さと優しさが履き違えられているような、そんな男が。
「、姉さん」
妹は、恋焦がれるような視線をこちらに向けた。艶のない唇が、若さを吐き捨てていた。
「次の雨の日には、来てくれるかしら」
来て、くれるだろうか。そう、愛を耳元でささやくなんて芸当は、いらない。私をおだてる必要などない。ただ呆然としながら私の隣にいて欲しい。目線を逸らし、虫ですら掻き消せるような声で愛していると言って欲しい。そして、一緒に狂って欲しい。願わくば!
「来てくれたら、嬉しいわ」