手にした銃の重さはいつもと変わらない、頭の中もいつものようにただまっさらなまま、ひとつの答えを告げる。「ゼロを抹殺せよ」と、その言葉を何度も再生し、あの扉からあの仮面が現れることを切に願っている。心は怒りで満ちている、銃を握る手は熱い。だけれど正しいことをしているのだと、何かがそう告げているから俺はいつも安心できる。それは心地がいいし、何者にも代え難いほど尊く愛しい感情だ。心の奥底にある何か、自分はそれを正義なのだと信じている。それに背いていないからこそ、手にした銃の重さはいつもと同じだ。正しいよ、とその肯定が、確かに存在している。ただひたすら、あの扉が開くことを願いながら、仮面を待ち続ける。彼は、頭は切れるが武道について言うならとても秀でているとは言えない男だったから、きっと失敗はないに違いない。「もうすぐだ、もうすぐ・・・」無意識の内に呟いた言葉は、静寂のような慌しいような、このピリと張り詰めた空気の中では目立つようでいて意外にも馴染んでいたのか、誰も振り返ることはなかった。きっと、誰もが同じ思いを抱いている。心は怒りに満ち、己の奥底にある何かを貫きたいのだという欲に駆られている。それは、正しい。そう信じてやまない。あぁ、もしかしたら、空間に満ちているのは一体感なのかも知れない。誰もが強い視線を放つ、酷く心強い。不思議な満足感で溢れ返りながら、ふと、横を見れば沈痛な面持ちの若い男が、眉を下げて息を吐いた。その瞬間、全てが覆されたような気分になって、とても不安になった。
「どうした?」
それを掻き消そうと思ったのか、そう声を掛けてみるけれど彼は青い顔で首を横に振っただけだ。ますます不安で胸がいっぱいになってゆくから、なるべく労るようなつもりで「人数なら足りているから、休んでいても問題はない」とそう告げる。仕方ないと思う。今まで信じていた輩に裏切られることは、本当に心苦しい。怒りで満ちた心が、あの男の今までの悪の所業の数々を思い起こさせる。卑劣な手だ。裏から操作して、人の心を無視し、多くの日本人の命を犠牲にした。あの大虐殺が彼の手によるものだと知った時、自分は心を決めたのだ。熱くなった手の平で、冷たい銃を扉の方向へ向けたまま握り直す。隣の男は、その仕草をどこか空恐ろしいものを見るような眼で一瞥した後、「問題ありません」と、とてもそうとは思えないような顔色で告げた。
「無理はするなよ、足手纏いになったら・・・」
「なりませんよ。俺はテロリストです」
薄く浮かべた笑みがあまりにも不恰好で、身形からして若そうな彼はもっと若く見えた。下手をすれば高校生、中学生にも見えるほどその顔の造りは未成熟だ。もしかしたら、実際に高校生くらいの年齢である可能性もあるのだが。彼は青い顔をしたまま、震える手で銃を強く握る。同じタイプの銃のはずなのに、何故か彼はそれを重そうに抱えているように見えた。やはり、まずいのではないか。不恰好な笑みを浮かべたままの口元は、不器用な若い男と言うには些か病的で狂気に満ち満ちていた。今にも、狂ったように笑い出しそうだ。本格的にまずいと、そう思って男の腕を掴もうとした瞬間、彼は間を計ったかのように流暢に喋り出す。
「そう、俺達はテロリストだったんだ」
「・・・?おい」
「そうだ、正義の味方なんかじゃなかった。単なるテロリストだった」
「おい、お前」
目が据わっていた、正気の沙汰には見えなかった。あぁこいつはもう駄目だと、肩を掴んで強く引いたところで、男は狂気に満ち溢れた目を向けてきた。薄い笑みを浮かべる口元は、今や悲しげに歪められているだけだ。「俺達は馬鹿だったんです」と、小さくか細い声が漏れ出る。ふと、怒りと反発で目の前が真っ白になる。首を、へし折ってやろうかと思った。こんな狂った奴に何がわかるというのだろう、俺達はいつだって正しかったはずだ。じゃなければ、ここまで来れなかった。けれど、それはあの男の卑劣な方法によるものだった。だから、もう一度、作り直そうと心に決めた自分達の何が間違っていると言うのだろう。日本人を解放するのだ、今度こそ本当に正しい形で。誰もがそう願っていて、だからこの行動はその第一歩だと信じている。掴んだ肩に、思わず怒りをぶつけていると男は苦しげに眉を寄せる。けれど、口元と目は狂気ままだ。なんて恐ろしい光景だろう。悲しい笑みを浮かべたまま、彼は消えそうな声で何かの不安を掻き消すように呟きつづける。「俺達は騙されていた、それは本当だ。でも、もう今更在り方を変える事なんて出来ないんだ。俺達は、あの男がいないと何も出来ない。いつだって、何だって、俺達に与えてくれたのはあの男だ。必死で考えたんだ、俺達が今此処にいる理由を。でも何を突き詰めたって、その先にいつも・・・」
目が痛いほどの輝きが眼前を交差したのを感じ、その言葉はぷつりと途切れた。おかしな男に不安で狂わせられた自分は、それでもライトに照らされた中心にいる男にばかり目が向き、いつのまにか冷たい銃を握りなおしていた(きっと自分の目は、爛々と盲目に輝いている)。殺してやりたいと心底思う。あの大虐殺を繰り広げ、何人もの命を無駄に犠牲にし、自分達を騙したあの卑劣な男を。現れたその姿は、いつものように漆黒を纏っていて、何も読めない。スコープから、追い詰められていく様を眺める。マントが閃く、少女が庇うように彼の前に立つ。どうやら、仮面は外されたようだが少女の赤い髪に隠されよく見えない。あぁ早くどくんだ、その男を撃たなければ俺たちは!そして、少しして少女が、俯いたまま男から離れてゆく。高揚で頭がおかしくなりそうだった。最早、隣の男のことなんて頭の片隅にもなかった。あの男を撃ち殺してしまえば、それが正しい。じっと、男に標準を定めたまま、時を待つ。早く早く、と。少女が黒衣を纏う男から離れていくほど、そいつは鮮明になってスコープに映る。顔は、酷く端正なものでは在るが子どもの顔だった。振りかざした腕は、細かった。マントの下に隠された体躯は、上から見れば何の事はない、単なる痩せた少年のものだ。ふと、不安に陥る。
(あぁ俺たちは、)
撃て!と高らかに響いた声とともに、不安ながらも無意識の高揚で指先で引き金を引いた。一斉放射される、いくつもの閃光。興奮した、自分の正しさを肯定できた気がした。けれど、手が震えていた。体が重い。銃が、こんなにも重い。どうしてだ、どうして。頭の中が掻き乱されて、標的が真っ黒いナイトメアで攫われていくことすら認識できない。どうして、どうしてこんなにも不安になるのだろう。俺は正しいよ、正しいはずだ。なら、どうして。疑問が繰り返されていく中、ふと、横で狂ったような声がした。あまりにも高らかで、あまりにも哀切で溢れた。
「合衆国日本の国民、エリア11に残る我が同胞よ!この命を持って、俺は罪を償おう」
青い顔をした若い男は、叫んで銃口を自身の頭に向けた。そのまま鮮血だけが見せ付けるかの如く散らされていく。眼前が、赤で染まる。命が散った。彼は、薄く笑って、悲しい目を、最後に俺に向けていた。まるで、嘲笑うかのような瞳だった。
(『俺たちは、馬鹿だったんだ』と言った)
彼の言う通りなのだろうか。あんな子どもひとりに、正義を与えてもらいただそれに喜び勇んでいた、ただの馬鹿だったんだろうか。希望を声高に叫んだその日から、自分達の正義の全ての根幹で、あの仮面の男が笑っている。スコープから眺めたあの男は、ただの子どもにしか見えなかったけれど、でも彼は絶対的な存在感を持ってそこにいる。身が震えるほど恐ろしかった。今この国に、日本人に、その外的なものへ向かうプライドの根幹にいるのはあの男だ。卑劣で、卑怯で、そのはずなのに大きすぎる何かを持って整然と立っている、黒衣を纏う人。ならば単なる子どもにただそれを許した、何をも知ろうとせず取り込まれた、最後には希望と共に根こそぎ摘んでしまうしかなくなった、それこそ、その状況を作り上げたことこそ罪なのだろうか。重たくなった銃が、大きな音を立てて床に叩きつけられる。作り変えることなど出来るわけがない、俺たちにはもう何もない。この組織の根本は、たった今捨て去られたのだと思った。







081204