どうやら、ジャンクフード特有の鼻腔を直接刺激するような香りが嫌いらしい。自動ドアが横に滑らせたその瞬間、部屋に咽かえるチーズの香り。それに持ち前の美貌を歪めるその男を、愛しいと思ったなど私は一度としてなかった。というよりは、私はそもそも「愛しい」というその感情を、最もそれらしい形で認識するということができない。いや、できなくなったと言おうか。例えば先日自らの手により葬ったあの青年に対する感情も、たぶん「愛しさ」というものは何所かには存在していたのだろうか、それでもただそれだけが私の胸の内を占めるということは絶対になかった。いつだってそれらは事実関係に縛られ、あるのかないのかもわからないもので淀んでいて、含みがあった。私はあの少年に対して、喜ばせるにはどうしたらいいだとか、どうやったら泣き止むのだろうだとか、そんなことを考えたりも確かにしていた。が、自身の願いを叶えさせるためにはどう育てればいいだとか、心身崩壊の兆候が見られたときにはいつが切り時だとか、そういったことも同時に考え続けていた。そして、私はそれらの打算的な思考をしっかりと認識しており、そのことに罪悪感もなければ、それにおいて自身の愚かさを嘆くということもなかった。だからこそ、彼を撃つことが出来たし、誰も触れることのない自身の領分をつくることも出来て、ここまで生きることも出来た。だからただ身に任せた思いなど、私はもう抱くことは出来ない。つまり、目の前のこの男を心の奥底から愛しいなどと思ったことは、一度としてない。ふん、と鼻を鳴らし、私は滑稽に唇を歪める。―――冷たい人間というのは私のような人間のことをいうのだろうか、などと考えながら、私は私の手の中にある大好物のジャンクフードに歯を立てる。
「・・・何枚目だ?」
男は、忌々しげに私の腹に収まってゆくであろうそれと、既に中身には何もないベッドの横に積まれた空き箱を交互に見た。「数えればいいだろう」と、なかなかにやる気のない返事をかえしてやれば彼は大仰な溜息を吐くが、私はそれに対し何の感慨を抱くこともなく。ただ投げ遣りに「今回もまた長かったな」とだけ声を掛けてやる。今回の外泊は2日。学校が丁度休みだったので、妹とメイドには友人と旅行に行くと誤魔化したらしかった。「あぁ、少しな」とまるで答えにならない答えを返しながら、男は酷く面倒くさそうに積まれた空き箱をどかし、とりあえずというようにゴミ袋に全て仕舞いこむ。疲れているなら、空き箱など放ってさっさと眠ってしまえばいいのになんとも律儀な性格だ、と人事のように考えながら私は残りの1ピースに手を伸ばす。最後の一枚には、タバスコをたっぷりかけるという習性のある私は、例の通り今日も血のように真っ赤なそれを振り掛けた。すると男は、途端、物凄く嫌そうな顔をして、けれどまた大仰な溜息を吐くだけで何も言っては来ない。ただ持て余したように椅子にどさりと座ると、リモコンを手にとりスイッチを入れた。さすがに、慣れたのだろうか。前よりも何か物を申すことが少なくなったその男に、私は些かの満足感を覚えながら最後の1ピースを味わい始める。すると、ふと今度は小さな溜息が聞こえた。吐いたのは隣の男以外の誰でもない。不景気なことだ、と思い明かりのついた画面を見れば映し出されているのは、ある貴族の男とニュースキャスターらしき女性。何故見ただけでわかったのかと言えば、その貴族の男が余りにも貴族らし過ぎる態度だったからというただそれだけだ。あぁなるほど、と隣の男の小さな溜息の理由を察し、けれどその番組自体には興味は湧かず、私は視線を再び手の中にある最後の1ピースに向ける。せっかくなのだから、やはりきちんと味わはなければ(どうせ明日も食べるのだけれど)。などと思いながらひと口ふた口と食べ進めてゆくと、ふと耳障りな音が迫ってくるように下から這い上がってきた。傲慢そうな男の声に、はきはきとした女の声。どうやら、隣の男が音量を上げたようだ。そもそも興味の湧かなかった私にとっては、先ほど音量が下げられていたということにすら気がついてはいなかったが。何か興味深い話題でもあったのだろうか、と思い隣で座る男に目を向ければ、そいつは苦虫を噛み潰したような顔をして、テレビを凝視している。嫌なら見なければいい、にも関わらずこの男は何故か不愉快なそれらを凝視する。なんというか、私はこの男に対して愛しいと思うどころか、むしろ呆れきっているのかも知れない。
「なぁ、ルルーシュ」
男はリモコンを手にしたまま、顔だけこちらに向かせ「なんだ?」と嫌そうな声でそう言った。その顔は、明らかな疲労の色が前面に表れていて、どうやらかなり疲れているようだ。ならば余計に見なければいいのだ、と私は再度思いつつ、相変わらずぺちゃくちゃと偉ぶった風に喋る男の声と、はきはきとしつつも微量に媚びるような音を残していく女の声が頭を素通りしていくのを感じる。まぁ、確かに愉快な気持ちになるものではない。けれどこの男はそれを聞かずにはいられず、現にこうして今にも射殺しそうな目で凝視している。ここ数ヶ月による私のこの男についての認識からすれば、それは聞かなければならないという義務による行為ではなく、彼自身の中の規定のようなものに付随する行為なのだろう。まるで自身の憎悪を煽るかのように彼は不愉快なものに耳を傾け、わざとしているかと思うほどに不愉快な夢をみ続ける。恐らくそれらは全て彼自身の規定でありながら、どうしたところでやめることの出来ない習性でもあるのだろう(例えば、私が最後の1ピースにはタバスコをこれでもかというほど振り掛けるのと同じような)。やはり私は、この男を愛しいと思うどころかただ呆れるしかない。憎悪も怒りも忘れることなど出来ずに身の内に秘め、故に尚且つ争いを好み、そのくせ愛は捨てられない。馬鹿な奴だと、苛立ちと共に湧くのは哀れみで、私は何故それらが自身の中で蠢くかをよく知っていた。似ている、気がするのだ。だからこそ私はこいつを愛しいとは思えないし、けれど逆を言えば妙な愛着が湧くから、こうして今も口を開き、喋りかける。
「例えばもし」
そうして私はテレビ画面を、最後の1ピースの重みを感じていない方の手で指し示し、問うた。
「其処のインタビュー会場に、隕石が落ちたらどうなると思う?」
我ながらつまらないことを言う、と思いながら男の返答を待つ間、今度は片手の最後の1ピースに集中し、またひと口かじる。恐らく男は些か驚きながらも、とてもつまらなそうな顔をして眉を顰めながら私を見ているのだろう。数瞬の間の後「・・・いきなりどうした?ピザの食べ過ぎで頭までいかれたか?」と、嫌味ったらしい声音がした。
「まで、とはなんだ。私は正常だ。いいから早く答えろ」
そう言って、最後の1ピースを見れば残りは私の手の平程度しかなかった。少し残念な思いになるのは、あまり味わえていなかったからなのだろうか、それともただ単にこれが最後だからか。私はそれを口にいれ、しっかりと歯で噛み、味わい、胃に落とす。その間、男はただの一度も喋らなかったが、かなり困惑しているのだということは顔を見ずともわかることだ。そしてそれから数秒後、私がその男の方へ向き直ると、そいつは訝しげな声と表情で「死ぬんじゃないのか」とだけ言った。まぁ、恐らくはその通りだろう。その答えは、酷く正しい。
「そうだ、死ぬな」
そして一瞬の間を開けて、私は凛とした声で言い放つ。
「だが、それはつまりその状況下ではお前も同じように死ぬということだ」
すると、そいつは今までも充分に掘られていた眉間の皺を、さらに深くして私を睨む。単純な奴だ、と(たぶんこの世でこいつのことをそう思うのは私くらいなのだろうが)思いながら、私は楽しくてしょうがないと言うように口元を歪めた。男はもっと嫌そうな顔になって、「何が言いたいんだ、お前」と低い声で問う。そう、こいつは、自分の生にも死にも至極、敏感な男だった。恐らく地球に隕石が落下して、大半の人類と共にその一生を終えることなど男の中ではかなり厭われる死に様なのだろう。何も出来ないで、己の内にある憎悪も怒りも燻らせるだけで、ただ死んでいくなんてと。こいつはそういう男だ。そして、私はそんなこの男に常に呆れてはいるが、愛しいと思ったことなどただ一度もないのだ。ふっと薄っぺらく笑いながら、私は随分と嫌そうな顔をしている男に向かう。
「なに、お前は私が守ってやるさ」
まぁ隕石落下の時は諦めてもらいたいが、植木鉢が頭上に落ちて来た時くらいなら。とそう付け加えると、彼は「それじゃあお前の例えの意味がないだろう」と私の言葉を嘲笑った。嫌味な奴だと思う。そうだ、確かに、私はこの男を愛しいとは思っていない。正直、かなりの馬鹿だと思って、呆れている。けれどそれでも其れくらいのことはしてやろう言うのだから、こいつは私への感謝がもっとあってもいいんじゃないかと、つくづく思っているのだ。
080409