降り注ぐ夕日があまりにも眩しくてカーテンを閉めてしまおうかという思いが生まれたが、今この場でカーテンを閉めて襲ってくるであろう閉塞感を予想すると、緊張で頭がくらくらとしてそれこそ倒れてしまいそうな気がして、辞める。すると、今度は手持ち無沙汰になる。考えることも、やることもない。いや、やることならばある。この目の前にある企画書の提出日は明日の放課後だが、同日が提出日の書類が確か山ほどあったはずだから、これは今の内に片付けておくべきもののはずだ。よし、と自身の行動の目処が立つと、ちょっとだけ緊張から解放されたような気がした。さて、企画書を書こう、と思いふとすぐ横に手を伸ばすがそこには何もなかった。あら、ペンは?ぼんやりと先程までピンクのペンケースが置かれていた場所を見つめる。少々の焦りを伴ないながらふと辺りを見回せば、頬杖をついて少し気だるそうな仕草でペンを動かす少年がいて、そしてあたしは思わずその少年から目線を逸らしてしまった。少しだけ収まったはずの緊張が、再び頭をくらくらとさせた。あぁと項垂れたのは、この一世一代とも言えるチャンスの前で手を拱いている自身の奥手ぶりに呆れてしまったからだ。元々、あたしと恋愛の関わりというのは大抵友達を介したもので。つまりは他人の色恋沙汰の相談を受けることの方が多くて、その時は偉そうなこともたくさん言えたけれど、今ではなんて役に立たないことばかり言っていたのだろうなんて思うことがよくある。音も無く息を吐き、呼吸を整える。大丈夫、見るくらいじゃ気付かれない。というかそもそもあたしはペンケースの在り処を探しているだけなのだ!極度の緊張は、あたしにひとつひとつの行動のその理由を要求してきて、さっきから頭の中で思考がぐるぐると回っているばかりだ。もう一度、少しだけ気だるそうにペンを動かす少年を見て、また頭がくらくらとして、そして横にある私のペンケースに気がついた。あら?、と思いよくよく彼の端整な手を見つめれば握られているのはライトブルーのシャープペンシル。それは、私が予備に入れているものだ。
「あっ、ルルそれ・・」
思わず声が漏れ、反応するように彼は俯き加減だった顔を上げる。こちらを見て「あぁ」というような表情をしたのか、それとも声に実際出していたのかは緊張のあまりによくわからなかった。部屋に二人きりの状態で彼の目がこちらに向いているというだけで、とても嬉しくて気恥ずかしい。あたしは一瞬、目を逸らしかけたが、耐えた。すごく頭がくらくらしていくのが嫌でもわかる。
「さっきシャーリーが書類を取りに行っている間に借りたんだ」
そう言うと、彼は「すまない、返すのを忘れていた」とこちらにピンクのペンケースを差し出し、あたしはそれを「あ、ありがとう」と言って受け取った。思い人の端整な顔は、ほんのりと緩やかな笑みを浮かべていて、差し込む光の赤みのせいかいつもよりほんのりとした柔らかさを強く感じ、受け取る瞬間に本当に倒れてしまうかと思ったほどだ。そして、状況は先程と同じに戻る。違うのは自身の手元にペンケースが返って来たというただそれだけで、はっと我に返りあたしはその中からいつも使っているイエローに白のマーブル模様がプリントされたシャープペンシルを取り出した。もうひとつ残っているシャープペンシルは、ピンク系統の色を基調としたボーダー柄のものだ。彼は男子学生が持っていたとして最も違和感のないもの(それでもやはり不釣合いではあるが)意識的に選んだのだろう、恐らく。このピンクのケースを開き、暫しどれを選ぶべきか逡巡したであろう彼を思い浮かべると、なんだか可愛らしくて少しだけまた緊張が解けたような気がした。くらくらとしていた頭が、再び落ち着いた思考を取り戻していく。そして、あら?と再び疑問が頭に湧いた。
「あ、ねぇ。ルルがさっきまで使ってたペンはどうしたの?」
黒髪が少しなびいて、彼は頭をまた上げる。ご丁寧に心臓はどきりとする。誤魔化すように、あたしは彼が使っていた、購買で一番安く売っている細身のシャープペンシルを思い出した。色はシルバーだ。こんなにはっきり思い出せるのは、授業中に見過ぎているからだという自覚はある。
「あれは壊れたよ」
「え?でもさっきまで使ってたじゃない、ルル」
「壊れるときは、あっさり壊れるものだろう?安物だしな」
浮かんだ疑問は、その言葉によって割かしにあっさりと溶け出した。あぁそうよね、壊れるときはすぐ壊れるもの、と。確かに特に疑問視するほどでもないと気付き「そうよね。うん、ごめんね変なこと聞いて」と言うと、「いや、別に」とまた少し表情を緩められたので本当に顔が真っ赤になってしまった。そこで、もう一度ルルを見る。彼は先程と特に変わりなく気だるそうにペンを動かしていたので、たぶん顔の赤みには気付かれていない。ほっとしつつ、でも彼は鈍いから気が付いても夕日のせいくらいにしか思わないだろうかなんて考えて、そしてあたしも思い出したように手を動かし始める。と、そこで、彼が再び顔をあげた。え、とあたしは急に騒ぎ出した心臓やくらくらし始めた脳内を抑えようとして、かなり気を張った。浮遊するような彼の視線を真剣に追っていると、タイミングよく終業の鐘が鳴り響く。
「あ・・・」
思わず間の抜けた声が出たのは、あまりにもびっくりしてしまったからだ。けれど彼は特に気にした様子もなく、涼しい顔で周囲の書類を軽く整理し立ち上がった。
「終わりだな。帰るか」
「えっでもこれ、」
「提出期限は明日の放課後だろう?明日なら会長たちも来るだろうし、皆でやればどうにかなるさ」
「あっ!うん、そうだよね」
「そういうことだ。あぁあとペンは其処に置いておいたからな。ありがとう」
「べ、別にペンくらい気にしなくていいよ全然!」
「いや、助かったよ。じゃあなシャーリー、また明日」
どこか戸惑い気味な返事があったのはあたしの勢いがおかしかったからだろうかとか、語尾が揶揄するような感じに優しかったのは今日の私があまりにも挙動不審過ぎたからなのだろうかとか、そんな考えが過ぎる。とりあえず去り際に見せてくれた少し緩んだ表情に胸をときめかせながら、ドアの向こうに消えていく彼を呆然と見つめた。そしてまた我に返って、一緒に帰ろうと言う勇気を出せずタイミングも掴めなかった自分を叱咤したくなる。実は、今日のこの状況は会長たちの好意によるものなのだ。だというのに、私は大した会話も出来ず、勇気も出せなかった。溜息が漏れる。あぁなんで自分ってこうなんだろう、と頭を抱えるのはよくあることだ。さらに深い溜息を吐いたのも。
「あーあ、もう」
投げ遣りな声を出しながら、私は立ち上がる。カーテンを閉めて(その時、窓からクラブハウスへ続く石畳を歩く彼が見えて、数秒停止して見えなくなるまで佇んでしまった)、それから軽く書類を調えて、椅子をきっちりと揃えた。そして、机の端に置かれたライトブルーのシャープペンシルを、丁寧な手付きでペンケースに入れる。これは今日からあたしの宝物だと本気でそう思った。友人に借してと言われても、きっとこれだけは絶対に貸すことが出来ないだろう。テストでこれしか使えるものがなくなったという状況に陥っても意地でも使わずに過ごすかも知れない。そう考えると、気分は高揚した。なんだ、いい事もあったじゃないかと。彼は今日、他の役員たちが居ればきっとリヴァルから借りただろうから、計らってくれた会長に感謝しなければいけない。もう一度、ペンケースを開けて、細いライトブルーを見つめた。とてもいとおしく思えてくるのは仕方の無いことだ。
「ルルが使ってくれたんだ」
たったそれだけだということは、よくわかっているのだけれど。