柔らかさだけで造られたような、麗しい少女達を前にその青年はたおやかに微笑む。よく、ではないが、けれどこの3人が揃えば必ず見られる光景であることに間違いは無い。次に、やはりいつもと同じように、出会えば必ずそうするように、青年は優しい手付きでふんわりとしたハチミツ色の髪としなやかなもも色の髪を撫ぜる。少女達はそれをすんなりと受け入れ、とても嬉しそうに愛らしい微笑みを返し「シュナイゼルお兄様」、と呼ぶ。それは鳥の囀るような声。そして、その青年は再びふたりに微笑みかけ、最後にその数歩後ろで美しく穏やかな光景を傍観するように佇む少年に笑いかける。それは、自分だ。少しだけ硬い声で「お久し振りです」と返すのは何故なのだろうか。自分でもこの応対には理解のならない部分がある、がやめられないのは悔しさか。決して嫌っているというわけでは、ないというのに。青年は、そんな自分の応対に、いつも少しだけ苦味を持った笑いを返してくる。それが揶揄されているような気持ちになってしまうのは、やはり悔しいのだろうか。ほら、だって、彼は愛しい妹達を軽々と持ち上げることが出来るのだ。僕には出来ない、年齢を考えれば当たり前のことだ。
「そうだ、今日はユフィ達におみやげがあるんだ」
一気に華やいだのは、やはり少女達だった。「まぁなんですか?」と頬を上気させて喜ぶ様はやはり愛らしいことこの上ない。攣られるように、僕はその花園へ距離を一歩縮める。気付いたナナリーが嬉しそうな顔をして「何だと思うお兄様?お菓子かしら」と僕に問い掛けた。「そうだね、楽しみだ」そう言ったのは、ただ単に可愛い妹を傷つけたくなかったからというだけで、本当に楽しみなわけではなかった。何故なのだろう、僕は、そんなにこの青年に嫉妬しているのだろうか?いや、おかしい。嫉妬しているにしても、それはきっと尊敬の念から来るものであり、だとすればプレゼントを貰えるのは喜ばしいことのはずではないのだろうか。それとも、そう考えることは違うのだろうか。わからない。でも、少なくとも自分は、楽しみというよりは一種の怖さを感じていた。彼は美しい動作で、ガーデンテーブルの上に置かれた高質そうな紙袋を手に取った。少女達ふたりの前にそれを差し出し、興味津々とそれを見つめるよっつの瞳に笑いかける。僕はそのほんの少し後ろで、少し硬い顔をしてそれを眺めていた。優雅な動作で紙袋から取り出されたのは、ふわふわとしていそうな優しい顔をしたテディベアがふたつ。少女達は本当に、嬉しそうだった。よく見れば、それらの首元にはハチミツ色のリボンともも色のリボンが象れられている。ふたりの髪の色、だ。愛らしい、優しさの色。
「まぁ、ナナリー。この子とってもかわいいわ!」
「本当に!あ、ねぇ、ユフィ姉さま、これおそろいね」
「ね、ナナリーとおそろいって初めて!・・ほらみて、こんなにふわふわしてる」
「すごくかわいいくまさん。ありがとう、シュナイゼルお兄様!」
手にとって、嬉しそうにはしゃぐふたりは、それでも忘れずにこれをくれた青年に感謝の言葉を贈っていた。「どういたしまして、ユフィ、ナナリー」そう言って、またふたりの髪を撫ぜる。優しげな手付きで流れるように。それから、やはり、視線はこちらに向く。青年は、恐らく自分の顔が妹達に対する優しげな笑顔を向けながらも強張っていたせいだと思うのだが、苦笑していた。そして、先程と同じような優雅な動作で、オレンジががった綺麗なワインレッドの包みを差し出してきた。その顔にはやはり苦笑が浮かんでいる。
「チョコレートだよ、ルルーシュ。確か君は甘いものが好きだったなぁと思ってね」
「・・・ありがとう、ございます」
「なに、さすがに男の子にテディベアというわけにはいかないからね。さて、お茶にしようか」
彼がそう言うと、タイミングを計ったかのようにひとりの侍女が視界から消えた。恐らくもう何分もしない内に、よい香りのするお茶と甘いクッキーを運んできてくれるのだろう。自分は、立ち上がった青年の数歩後ろに付き、ガーデンテーブルの上にそのワインレッドの包みを置いた。「お茶が来たら皆で食べましょう」、と自分の倍以上は確実にあるその背中に声をかける。少女達は、もらったばかりのテディベアにすっかり夢中で、お互いにリボンを交換してみたりと楽しそうだ。それに背を向ける形で、青年はガーデンテーブルに目を向け佇んでいる。少し、考え込むような、そんな表情をしていた。
「・・・シュナイゼル兄様?」
訝しげに問うと、その目はふと我に返ったように色を取り戻し、しかし再びガーデンテーブルに視線は向けられ、そして数秒の後にその視線は先程自分がテーブルの上に乗せたワインレッドの包みに向けられているのだとわかった。「ねぇ、ルルーシュ」そう、呟くように言う。
「なんですか?」
聞くと、彼は無言で自身が僕に与えたワインレッドの包みを手に取り、やはり優雅な仕草でそれを剥がし、中のこげ茶の紙箱を開けた。そこには、金箔が上品な程度に降りかかった―――所謂、とても高級そうなチョコレートが八粒、艶やかな光を放って並んでいた。とても、おいしそうだけれど、でもお茶はまだ来ていない。そんなことを思い、よくわからない行動に取って出た青年を訝しげな目で見つめてみると、彼は少しだけ笑って(今度は苦笑いではなかった。何所か寂しげではあったのだけれど)、それらを差し出す。「食べてごらん、一粒だけ」青年は、笑う。僕は、その行動の意図をまるで掴むことが出来なかった。
「お茶はまだですよ。どうせならナナリー達と一緒に食べましょう」
今度は、少し寂しげだった笑顔が、酷く愉快そうに歪んだ。「そういうわけにはいかないんだ」と、訳のわからないことを口し、今度は本当に目の前に、こげ茶の箱を差し出す。成す術がなくなってしまい、溜息を吐くような心地で一番端に佇んでいた艶やかな光を放つチョコレートを手に取り、前歯で控えめに齧る。パキリ、となったそれは次の瞬間、くしゃりと潰れ、中の空洞から半透明のとろりとした液体が齧った前歯を伝って舌、そして咽の奥へと入り込んでいく。少しだけ、芝生の上に液体が垂れた。あぁ、これは
「お酒入りだ。ごめんねルルーシュ、間違えてしまったよ」
甘さと共に口に巣食った苦味は、子供の自分には到底おいしいと思えるものではなく、けれどこの人の前で無様に苦味に涙するのも癪であったので「いえ」と最低限の返事を返しながら必死で飲み下した。不思議な苦さは舌に残り、飲み込んだそれは脳にとろけるような感覚を与えてくる。あまり、いや、到底おいしいとは思えない。けれど、残ったもう半分ほどはやはり食べなくてはいけないだろう。この人の手前、僕はそこを譲ることはこれをおいしいと思う以上に出来なかった。涙腺に恐らく溜まったであろう涙に最低限の注意を払いながら、手にした残り半分を口に押し込もうとする。―――その瞬間、真白い手袋で包まれた手が、まるで躊躇することなく手にしていた残り半分を奪い、視界から消える。慌てて視線を上げれば、目線よりもずっと高い位置で、彼は既にその残りを咀嚼していた。真白いはずの手袋には、少しだけ、透明の液体と溶けたチョコレートの欠片がついている。ほんの少しのはずなのに、輝くような純白の中でそれは嫌に目立っていた。
「無理して食べる必要はないよ」
青年は言う。それは、苦笑いではなく安心させるような笑みだった。僕は、なんとなしに居心地が悪くなり(恐らく、無理をしているとバレたからだ)彼の、真白いはずだった手袋を見つめて、呆然とした。鼻腔に篭るような匂いがして、それが何の匂いだかも、わからなくなってしまう。青年は少し驚いた風に僕の目を向ける場所を辿って、そして、それに気付く。「あぁ汚れてしまったね」と言いながら、彼はまた安心させるような笑みを向けて、その真白くはなくなった手袋に包まれた手を僕のほうに下ろし、「気にすることは無い」と笑う。僕は、それで我に返り、この篭るような匂いの正体に気付き、そしてさらに重要なことに気が付いた。
(シュナイゼル兄様は、此処に来て、一度も手袋をはずしていない。今日だけじゃない。先月も、その前も、初めてチェスの相手をしてくれた時も、ただの一度も)
そうだ、先刻、愛しい妹達の髪を撫ぜている時だって。可愛い顔をしたテディベアを取り出した時だって。
「どうしたんだい、ルルーシュ?」
心配そうに揺れた瞳で僕を見つめながら、青年は汚れの無い手袋で包まれた方の手で僕の髪を撫でた。
「なんでもありませんよ」
そう笑う。そして、先程とは違う、鼻腔をくすぐる仄かな香りが漂ってくる。視界の端に、優しそうな笑みを浮かべながらティーポットやカップ、それからお皿いっぱいに乗ったクッキーを載せた銀のワゴンを運ぶ侍女が映った。それを見た青年は穏やかに笑うと、僕の髪から手を離し、静かに愛しい妹達を呼んだ。
「ユフィ、ナナリー、・・お茶が来たよ」
元気よくはぁい!と答えたふたりは、頬をほんのり赤く染めてやって来た。はしゃぎ過ぎたのだろうかと思うと、「ねぇお兄様、このくまさん本当にかわいいのよ」とにこにことしながら喋りかけてくる。愛しいと思った。少なくとも、僕がこのふたりの髪を撫ぜるときは、手に何も身につけてはいない。それはこの柔らかで優しい感触が好きだからでもあるし、何より何の防備もなく触りたいという自身の欲求があるからでもある。ふと見れば、青年は、変わらず穏やかな笑顔で笑う。そして、やって来た銀のワゴンに載せられたティーポットを、真白くなくなってしまった手で持つ。カップに優しげに温かな紅茶を注ぐ、その表情は変わらずに穏やか。僕は舌に残った苦味を感じながら、彼のその汚れた手袋の向こう側にあるであろう、「何か」が怖いと思う。けれど僕の頭を撫ぜたくれたあの感触は、涙が出るほど優しかったのだ。