丁寧に情けなく垂れ込んだ花をまとめて葬る様は、自分からすれば気持ちが悪かった。何故、そうやって花が枯れただけで瞼を伏せるのかが理解できないのだ。その行動を否定したいわけじゃない、本当に理解ができないのだ。意味がわからない。枯れてしまったのは、枯れてしまったというだけではないのだろうかと疑問が湧く。それをわざわざ彼に近付いて問う気などなかったが、それでも際限なくそれは湧き続けるのだった。何故なのだろう。どうして、そこまで花を愛せよう?花だけじゃない。虫や鳥だって、彼の前で息を引き取るなら、酷く丁寧に扱われることであろう。それによってその生物達が、穏やかにその身を土に還せると自分には思えないが。そう、死んだ者を生きている者以上に丁寧に扱い、それに対し祈りを捧げるなんていうのはただの生き残った者のエゴでしかない。その場にいない者を祈ってなんの価値がある?馬鹿馬鹿しいと思うわけではないが(仕来りだと言われてしまえばそれまでだし)少なくとも、意味はないと思っている。ただのエゴでしかない。ということは、彼は生粋のエゴイストなのだろうか。そう言ったなら、彼はそれを否定することはしない気がした。ザーッと流れ出る水が、キュッという音を合図に止まる。しおれた花々は、紙袋の中に仕舞われていた。たぶん、捨てる。彼が花に対し瞼を伏せるのは、捨ててしまうことエゴかもしれない。とにかく、確実にその表情は死者を追悼するものだった。またキュッという音を合図として、今度は逆に水が流れ落ちていく。彼が自分の手の汚れを取っている。その行動さえ、罪悪感に満ちているように自分には見えた。気持ちの悪い奴だ、と思った。


3度目のキュッと捻る音。水は止まる。少年にしては線の細い手を団服の裾ので拭うと、こちらに向かって歩き出した。ここは廊下で、自分は角で足を止め、水道の前に取り付けられた鏡を通して彼を見ていた。幸い、その鏡の自分が映ることはなかったから、後ろを向けている彼から見えないはずだった。けれど天井の高さからか、足音はとめどなく響くばかりで、まるで辺り一帯に監視カメラが付けられたとでもいうような居心地の悪さだ。自分は、どうにか慌てることなく歩みを進めた。角を曲がった彼が鏡ではなく、本当の姿を現す。白髪が窓からの光を受けて、金髪みたいに見えてくる。目を細めた、眩しいと反射的に思った。特にこちらには一瞥もくれることなく、手にした紙袋(水切りされたしおれた花が入っているであろう)を大事そうに抱えている。気持ちの悪い奴と、また思った。このままで終わるだろう、と見透かされたような廊下でひとり安堵したところ、何故かすれ違う瞬間に妙な科白を吐かれる。「見ていたんですか?」と。素朴な疑問だ、と云った雰囲気だったが、それにはもっと違う意味がこめられている気がしてどうにも答えにくかった。



「知らない。見ていない」



嘘を吐いた。彼はわかったのかわからないのか、あぁそうなの、とでも言うようにふっと口元に笑みを浮かべた。穏やか過ぎて、大きな何かを忘れてしまった・・・そう、痴呆の老人が浮かべるような笑みで、それを自分より年下が浮かべているからどうにも不釣合いで、また気持ちが悪いと思った。何故だかは知らないけれど、この廊下と似ていた。穏やか過ぎて、全てを見透かされてしまったような。「気持ちの悪い奴だ、」毒でも吐くかのように言ってやった。そんなにたくさんの意味を込めたわけではなく、どちらかと言えば今のその表情に対して衝動で言ってしまっただけだったのだが、彼は「なんだ見ていたんじゃないですか」と返してくる。なんだ、この妙な会話は。というより、彼は何故、自身の行動を自分が気持ち悪いと思っているのを知っているのだ?謎がそこには数え切れないほどに生まれる。「神田は気持ち悪いって言うなって、わかっていましたから」。再び穏やかに笑いながらそう言った。ただ、今度は痴呆の老人のようなものではなく、さして不釣合いでもなかった。そして視線を自分から前に戻す内、彼の表情は変わる。瞼を伏せた。追悼、か。ほんの少し、抱きかかえた両手の力をさらに加えたような気がした。




「ねぇ、どうして、この花は捨てられなきゃいけないんだろう」


知るか、そんなことは。だから「枯れたからだろう。馬鹿か」とそれだけ零す。酷く美しく見えるけれど、中を覗けばそれは到底、理解の出来ない言動を繰り返すだけの猿真似人形。それがガラスのケージの奥で佇んでいる。彼を見ながらそう思った。ああ気持ちが悪い!表情を見て寒気がしたわけでもないのに、不可思議さだけが増してゆく。たぶん、今、自分が死ねば。彼はその灰を泣きながら大空に振り撒くのだろう。それは、単なるエゴを振り撒くのと同義であることを知りながら。静か過ぎて居心地の悪い廊下が唸りを上げる。窓が小刻みにカタカタと震えている。たぶん、風が吹いている。







080216
残留