無為に散らばったガラスの破片を見て、リナリーは傍から見てもはっきりとわかるような訝しげな顔をした。まぁあたり前か、と空事のように思いながら自分は無造作に中に進んでゆき、赤い背表紙を見ながら「あぁあったさ」と言ってその白い手に手渡した。彼女はそれに対して「ありがとう」とは言ったが、やはり酷く訝しげ、もしくは理解不能だ、という顔をしている。部屋の中に、割れたガラスがそのままに放置されているという自体は、彼女にとっては在り得ないことなのだろう。というか、ほとんどの人にとっては在り得ない事なのかもしれない。もちろん、自分だってそんな毎日のように無気力に過ごしているわけではないのだが。どうもこの沈黙がいたたまれず、誤魔化すように足先で散らばったガラスの破片をひとつ踏み潰した。カシャ、と頼りない音が鳴り、粉々に砕けた。少しおもしろい、と思ったのはひとつの童心というやつだろう。ただリナリーにはそれもまたおかしな行動だったようで、声が荒ぐのを抑えているのか、重そうに口を開いた。

「危ないわ。何考えてるのよ」
「ちょっとジジイが任務中だからさ。どうしてもめんどくさくなって」
「だからって、なんで放置したりするの。何日前の?」
「えっと・・・三日、くらい」

「本当に何考えてるのよ」

それだけ言うと、いかにも、と云った感じにテキパキと動き始め、家主である自分でも何処にあるか分からずだった新聞紙を見つけ出すと、広げて破片をそこに移す。一拍遅れて、自分もそれに従うように腰を下ろし、その酷く単調な作業をくり返した。ただ、いたるところに散らばる資料や文献のせいで、明らかにひとつのコップとしては足りていない量の破片した見つからない。ふとリナリーを見れば、先ほどラビが踏んだ砕いた粉々の破片と格闘していて、どこかまたいたたまれなくなる。おもしろい、なんて思ったことを言えば彼女は怒るだろう。やはりどこか肩身の狭い思いで、そうやって単調な作業をくり返す内、リナリーも疲れてしまったのか苛立ちが隠せないのか「まったく、どうして男の子ってこうなのかしら」と呟いた。最もな主張だ、と思いつつもたぶんここまで放置するのは自分くらいで、アレンだったらちゃんと片付けるだろうし。恐らくユウなら気にしていないというだけで、決して無気力になっていたせいで放置したとかそんなことはないだろう。だが、やはりそれもリナリーの言葉を否定するものでしかないように思えたから、言わずにおいた。そうしてまた、いたたまれない時間が過ぎて(恐らく数分しか経っていなかった)リナリーはその細い指を動かすのを止める。自分もそれに習って止めた。彼女は慣れたように、透明なガラスの広がる新聞紙を丁寧に折り畳むと、「今度、ちゃんと箒で掃除しておくのよ」とだけ言った。まるで母親みたいだ。さすれば、自分は駄目な息子か。笑いがこぼれそうだった。「ごめんさー」と笑えば、リナリーはいかにも疲れた、というように息を吐いた。掃除するわけがない、とわかっているのだろう。そもそも人に言われなきゃ割れ物すら片付けようとしない無気力な自分が、そんなことをするほうがおかしい。正当性など消え去った論理を勝手に頭で書き上げ、結論づける。もうどうでもいい、と思っているわけではないが、どうやら自分の状態はそれに近しいものにあるようだった。

「とにかく、せめて割れた物くらいは片付けてよ。危ないじゃないの、信じられないわ」
「リナリーが綺麗好きなんさ」
「ラビがめんどくさがりなだけよ。じゃあね」

やはり怒っていたのか、いつもよりどこか刺のあるように思える言葉だけを残し消え去る。疲れたのは自分ではなく彼女だというのに、何故か深い深い溜息を吐き出すとベットに倒れ込む。反発を受けた体が、少しだけ浮いて、それから収まった。こうしていると、何もする気がなくなって、その内に意識が水の中にでも沈んでしまうかのような眠りにつけた。それは死に際の感覚に似ているような気がして、心地がいい。こうしていれば、こうやって無気力になって水の底へ沈む、というそれだけくり返していれば、いつか消えてなくなることが出来る気がする。そう思えば移動するスペースが極端に限られてしまった部屋だとか、金具が錆びてしまって隙間が常に空いている役に立たない窓だとか、そんなものは取るに足らないように思えてくる。そうしてまた、目が覚めなければいいと呟いて、深い水の底へ沈んだ。







nancy,i love you

080216
残留