誰にでも、神様を信じているときというのはある。それは大抵、右も左も曖昧な小さな頃というのが多く、そのときの神様というのは「幸せを届けてくれる」とか「願いを叶えてくれる」とか、そういうプラスになってくれる存在だった。だって困ったことがあったら無駄に「神様」とか呟いていた気がするから。でも大きくなるに連れてそんな信仰心、というか純粋な心は崩れてゆく。当たり前だと思う。だって願ったって叶わないことの方が遥かに多いことを知ってしまうし、なによりそんな便利な存在がいるわけないという冷静な判断みたいものができるようになる。この世の中、どうにもならないことの方が多いのだ。食べなければ餓死するし、働かなければお金はなくなる。高校生の自分にとって、それは世間の常識みたいなものであった。たぶん大人になって社会へ出たら、もっと現実味
を持ってその言葉は迫って来るんだろうけれど。
だから、彼のいう「帝天」というのは現実離れはしているけれどなんとなく納得のいく存在でもある気がした。願いを叶えるとかじゃなく、ただ上から見下ろし全てを決める存在。その気まぐれひとつでたくさんの悲しみが生まれたり、笑顔が生まれる。もしかしたら指先の動きひとつ、くらいにその神様にとってはどうでもいいことで、そんな中で翻弄されながら生きる自分たちの方が、願いが叶って喜んでいる自分たちよりずっと想像がついた。卑屈なことに、だが。
「梵天」
「お前は俺になにをさせたいんだ?」
そう聞いたら、もっと卑屈な声で嘲笑に近い笑いを浮かべながら「自分の頭で考えろ」と言って馬鹿にしてきた。でも、だって聞きたくなるじゃないか。「帝天」になれだなんて。指先の動きひとつで残酷な運命を誰かに背負わせたり、平凡な運命を背負わせたりなんてそんなことはしたくない。誰かを気まぐれひとつで不幸になんてさせたくない。
そう言ったら、彼はまた笑った。今度も嘲笑に近いような笑い方だった。
「じゃあ、この世界の者全員に、幸福な運命を与えてやればいいんじゃないのか?」
確かに、そうだ。でも、そんなことができるはずがないとどこからか聞こえてきた。あちらの世界の政治家とかなにかの団体の代表とかが言っていた「平等な世界」なんて無理に決まっていると無意識に思っていたのと同じような感覚だった。だって、誰かが笑ったぶん誰かが泣いてしまうような、誰かが空腹を満たされて、そのぶん誰かが餓えてしまうような世界でそんなのを無理なのだ。そもそも、そんな帝天なんてただ上から見下ろしつづける者なんかになりたくない。
「本当に馬鹿だね君は」
青年はまた笑った。今度も嘲笑に限りなく近い、でもどこか哀れむような笑い方だった。
080216
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